
〔1954〕
54年
4月 史研:結成準備委員会
6月1日 中央大学史学研究会 設立
9月 秋季総会にて規約改訂
11月 臨時総会にて規約改訂
史峰 創刊号
55年
5月 春季定例総会
6月 第1回・第2回鎌倉見学
9月 秋季定例総会
11月 日本史部会研究発表
機関新聞『史報』創刊号
11月19日 東洋史部会研究発表
12月11日 文工祭へ参加
時期不明 機関新聞『史報』2号
56年
4月 『The Bud of History』
5月2日 新入会員の歓迎会
時期不明 春季定例総会
6月 『史峰』2号
7月 機関新聞『史報』3号
10月 大講堂にてインド映画
「アナールカリー」とインド
大使館情報局プチュパダス氏
の講演
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Column
本ページでは省いたが、創設期には数か月に1回のペースで臨時総会が開かれ役員変更や規約改定などが行われている。
1954年当初で36名の会員を抱えながらもこのような頻繁な総会が行われていたことを鑑みるに、現代との時間感覚の差がありありと感じられる。しかしながら白史12号にて1966年当時の会長 鈴木俊をして「史学科の学生諸君の研究機関」と言わしめたように、研究会の名に恥じない活動をしていたようである。
〔1957〕
57年
5月 春季定例総会
時期不明 白門祭へ参加
58年
5月25日 春季定例総会
時期不明 白門祭へ参加
会室の確保
59年
6月 『会報』創刊号
春季定例総会
7月 『会報』2号
7月4日 東洋史研究部会での発表
9月 秋季定例総会にて
白門祭参加が決定
『会報』3号
9月22日 『鎌倉報告』
12月 『会報』4号
60年
3月 『会報』5号
臨時総会にて会則改訂
4月1日 『白史』4号
5月6日 春季定例総会
5月19日 臨時総会
時期不明 『会報』6号
6月8日 臨時総会にて白門祭への
参加が決定
『会報』7号
8月10日 1週間日程で中山道調査旅行
8月29日 第2回中山道調査旅行
9月 『会報』8号
11月 『会報』9号
白門祭へ参加
『白史』中山道特集号
61年
3月 『会報』10号
3月25日 『白史』6号
時期不明 史研同窓会 結成
4月 『白史』5号
5月 春季定例総会
『会報』11号
6月 臨時総会で白門祭への
参加が決定
『会報』12号
時期不明 臨時総会
8月1日 会津で現地調査
10月 秋季定例総会
11月 白門祭へ参加
『白史』会津特別号
12月 臨時総会
62年
年度初頭 委員長変更
5月 定例総会
11月 『白史』7号
63年
4月15日 『白史』8号
時期不明 定例総会
8月 中山道信濃路に調査旅行へ
9月 臨時総会
11月 『白史』9号
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Column
1957・58年の低迷期を乗り越えつつ、大学院の駿河台移転に伴い元学生研究室を専用し、後楽園校舎での会室確保にも至っている。また1959年には『会報』を創刊するほか部会での発表も記録に残り、対内・対外広報への注力を感じられた。特に注視したいのは『白史』4号の発行である。70年以前の研究における中心資料となった『白史』だが、『史峰』からの改題であり1956年の『The Bud of History』も含めた号数の計算となっており、6号以降は今(2024年12月現在)も本学図書館に所蔵されている。
〔1964〕
64年
初頭 役員変更
5月 定例総会
8月 研究調査
後期 駿河台移転に伴い会室喪失
11月 白門祭に参加
65年
4月15日 春季総会
8月 夏季合宿
時期不明 第一次学生会館自主管理闘争
10月25日 『白史』11号
66年
4月5日 春季合宿
4月11日 『白史』12号
5月20日 定例総会
6月2日 学生会館問題全学討論会
8月 夏合宿
10月28日 『史峰』創刊号
10月29日 『白史』13号
11月 白門祭に参加
11月19日 秋季総会
12月 第二次学生会館自主管理闘争
12月25日 『華胥会報』20号
67年
1月14日 臨時総会
4月4日 春季合宿
4月11日 『白史』14号
4月25日 春季総会
5月10日 会室獲得
6月 『史峰』4号
6月12日 『会報華胥』21号
8月 夏季合宿
10月 白門祭に参加
10月31日 『白史』15号
秋 『白史』が図書館へ
納本される
11月16日 『会報華胥』22号
11月18日 秋季総会
12月 学費値上げ阻止闘争
12月21日 『会報華胥』23号
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Column
1964年に文学部が正式に駿河台校舎へ移転したことに伴い会の本拠地も移動。これにより会室を失うこととなり、蔵書などは西洋史研究室で保管されることとなった。この移転の影響はかなりのものであったようで、1年程度は満足な活動ができなかったようである。
これと同時に大学では第一次学生会館自主管理闘争が発生しており、本会は辞達学会と学生会館問題全学討論会を共催、これ以降の平和な解決への糸口を作っていったようである。
〔1968〕
68年
1月13日 中央大学全学ストライキ
4月14日 『白史』16号
6月 会員29名の除名
6月21日 神田カルチェ・ラタン闘争
10月30日 『白史』17号
69年
1月 執行部の放逐
3月6日 『CHS合宿計画』
3月 合宿・臨時総会
3月30日 『華胥』復刊1号
5月10日 『華胥』復刊2号
8月21日 『華胥』復刊4号
時期不明 「華胥」編集委員崩壊
70年〜77年
70年8月20日 『あし』29号
73年7月25日 『葦』30号
74年2月26日 『葦』31号
74年12月6日 『葦』32号
75年 『葦』33号
77年 夏季合宿
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Column
会として積極的な学生運動への関与は概ね見られないが、その煽りは確かに受けていたようである。この頃、恐らくはサークル観を巡る対立から大規模な除名と執行部の放逐などが発生している。また「白史」の発行が止まり、これまで数年おきに続いていた覚書の執筆が止まることで当時の様子を明らめるのが困難となった。加えて1978年からは多摩移転が始まり、10年ほどで会内外の様子が様変わりすることとなる
〔1978〕
78年1月 多摩移転開始
78年1月20日 『葦』36号
78年7月11日 『葦』37号
78年11月21日 『葦』38号
79年7月7日 『葦』39号
79年11月 色川大吉講演会
80年3月22日 駿河台校舎閉校式
多摩移転完了
80年6月26日 『葦』40号
80年11月 『葦』特別号第1刷
81年4月 『葦』特別号第2刷
81年1月10日 『葦』臨時特別増刊
色川大吉講演会特別号
81年10月1日 『葦』41・42合併号
82年4月1日 『葦』43号
82年10月1日 『葦』44号
83年11月1日 『葦』45号
83年11月30日 永原慶二講演会
85年2月1日 『葦』46号
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Column
78年から80年にかけての多摩移転ではあるが、今回は駿河台校舎移転時のような会室騒動は起きなかったようである。また2度目の校舎移転が起こったこの時期は、創設期から近代までの境目となるの時代である。『葦』の継続的な発行が見られるものの、それらの現物はほぼ残ってはおらず発行された形跡が残るのみである。また会室保管の「史学研文書」曰く、当時本会は大学公認化に向けた交渉を行なっていたようである。
〔1986〕
当該年代の資料なし
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Column
約8年の資料喪失に関しては一切記録が残っていないため、恐らくは会室整理などにより喪失したと思われる。またその期間のうちに『葦』の表記が年度表記になっており装丁も無線綴じへと変化しているため、これを以て現代に移行したと考えたい。
〔1993〕
93年5月8日 春合宿
93年8月4日 夏合宿
94年2月 『葦』1993年度総括号
94年5月7日 春合宿
94年8月30日 夏合宿
95年2月 『葦』1994年度総括号
95年5月20日 春合宿
95年6月22日 『葦』1995年度新歓号
96年5月18日 夏合宿
96年6月14日 『葦』1996年度新歓号
96年8月10日 夏合宿
97年2月 『葦』1996年度総括号
97年5月17日 春合宿
97年9月4日 夏合宿
98年3月 『葦』1997年度総括号
98年5月16日 春合宿
98年9月1日 夏合宿
99年3月 『葦』1998年度総括号
99年5月22日 春合宿
99年9月6日 夏合宿
00年3月 『葦』1999年度総括号
00年5月20日 春合宿
00年9月3日 夏合宿
00年時期不明 2000年度中間号第2部
01年3月 『葦』2000年度総括号
01年5月19日 春合宿
01年9月3日 夏合宿
01年時期不明 『葦』2001年度中間号
02年2月 『葦』2001年度総括号
02年5月11日 『葦』2002年度新歓号
02年5月26日 春合宿
02年9月4日 夏合宿
03年2月 『葦』2002年度総括号
03年 『葦』2003年度新歓号
春合宿
03年9月1日 夏合宿
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Column
1985年から1993年までの間、活動をしていたという事実は前後の資料から見えてくるものの一切の資料が残っておらず、詳細は全くの不明である。この間「葦』は連番の号数ではなく年代を示したものに変化し、1993年以前には時たま見られた講演会もなくなっている。ただこの講演会に関しては多摩へのキャンパス移転による各著名人との疎遠化が原因でありその結果失われた文化ではないかと思われる。この影響により活動も単純化し、代わり映えのないものとなってしまった。
〔2004〕
04年2月 『葦』2003年度総括号
春合宿
04年9月1日 夏合宿
05年2月 『葦』2004年度総括号
05年5月7日 春合宿
05年9月5日 夏合宿
06年2月 『葦』2005年度総括号
06年5月6日 春合宿
06年9月11日 夏合宿
06年11月 『葦』2006年度白門祭号
07年2月 『葦』2006年度総括号
07年5月12日 春合宿
07年9月6日 夏合宿
07年秋 『葦』2007年度白門祭号
08年2月 『葦』207年度総括号
08年5月10日 春合宿
08年9月18日 夏合宿
08年秋 『葦』2008年度白門祭号
09年8月24日 夏合宿
10年秋 『葦』2010年度白門祭号
11年春 『葦』2010年度総括号
『葦』2011年度新歓号
11年9月4日 夏合宿
11年秋 『葦』2011年度白門祭号
12年2月 『葦』2011年度総括号
12年9月4日 夏合宿
12年秋 『葦』2012年度白門祭号
13年春 『葦』2012年度総括号
13年度秋 『葦』2013年度白門祭号
14年春 『葦』2013年度総括号
14年9月2日 夏合宿
14年秋 『葦』2014年度白門祭号
15年春 『葦』2014年度総括号
15年夏 夏合宿
15年秋 『葦』2015年度白門祭号
16年春 『葦』2015年度総括号
16年夏 夏合宿
16年秋 『葦』2016年度白門祭号
17年春 『葦』2016年度総括号
『葦』2017年度新歓号
17年夏 夏合宿
17年秋 『葦』2017年度白門祭号
18年春 『葦』2017年度総括号
『葦』2018年度新歓号
18年9月3日 夏合宿
18年秋 『葦』2018年度白門祭号
19年2月 『葦』2018年度総括号
19年春 『葦』2019年度新歓号
19年9月16日 夏合宿
19年11月 『葦』2019年度白門祭号
〔2020〕
20年2月 『葦』2019年度総括号
21年2月 『葦』2021年度総括号
21年11月 『葦』2022年度白門祭号
22年2月 『葦』2021年度総括号
22年11月 『葦』2022年度白門祭号
23年2月 『葦』2022年度総括号
23年11月 『葦』2023年度総括号
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Column
2020年度は新型コロナウイルス感染症の影響で図書館が利用できず前期ゼミが全て中止に。後期はオンラインでの開催で、なんとか活動は継続した。2021年度は白門祭が再開されたものの、従来の飲食物提供を憚り本会所有の古書の展示などにとどめた。また法学部の茗荷谷移転が噂され出すが、移転後も多摩キャンパスに拠点を置き活動を続けていくことを決定。しかし新型コロナウイルス感染症の余波は2023年度末頃まで尾を引いた。
〔2024〕
24年3月 春合宿
『葦』2023年度総括号
24年4月 総会で会則採択
代表委員会発足
24年6月 執行部発足
臨時総会
24年9月 臨時総会にて会則改訂、役員
改選、運営部局の設置
24年11月 白門祭展示
24年12月 口頭発表会(全3回)
25年2月18日 関東史学系
サークル研究発表
大会の主催
歴史学学生サークル連盟発足
25年3月 『葦』2024年度総括号
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Column
新型コロナウイルス感染症を乗り越えた2024年度だが、会全体で見ると変化の多い年ではあったものの個々人の目線では活動の少ない年となってしまった。一方で、数十年ぶりに発表会を開催するなど「過去の呼び起こし」を行った年であった。
〔Future〕
25年4月 オリテン祭出展
25年5月 春合宿
前期 輪読勉強会
分野紹介会
25年9月 夏合宿
25年11月 白門祭出展
25年12月 研究発表会
26年2月 『葦』2025年度総括号
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Vision
10年ぶりに春合宿を年度はじめに行う予定。また勉強会を復活させつつ、多様なニーズに応えられるよう企画を随時検討していきたい。